ごきげんな理由

でっかい独り言です

安達としまむらについて書き殴る

安達としまむらの関係性はどう定義付ければ良いのだろう。友達よりは深い関係で親友というカテゴリとは少し違う。それなら恋人が一番近い気がするが(するのか?)アニメではそこまではわからない。

ともあれ関係性というのは、一番それに近いものを友達とかの言葉に当てはめているだけで、実際のところは当人たちの纏う空気感で感じ取るしかないのだと思う。それをはっきりさせるのは野暮なことだろう。ただ一つ言えるのが。安達はしまむらのことが好きでしまむらも安達を憎からず思っているということだ。

 

 

安達はしまむらに友達以上のものを求める。それは姉であり母親でもある。そしてしまむらもそれに応えることができる。応える、ではなく応えることができるのがしまむらである。

しまむらは人間関係に希薄さを望んでいる。それは決して人との関わりを拒絶しているのではなくて、一人で生きていける人間ではないことを自覚しているから、必要最低限の人と関われれば良いと考えている。物語を通してしまむらの今と関わっているのが安達を含め数人しかいないことからもそれがわかる。しまむらは一見薄情に見えるかもしれないけど、それが案外人間にとっては普通なのかもしれない。嬉しいやつらいなどの様々な感情は結果であって、前提の人と人が関わること自体負担を伴うものであるから、それを必要以上に求めないのは僕にも理解できる。多分そういう人間だから。でもだからと言ってしまむらは血も涙もねー人間ではない。妹に見せる顔は妹いとしのお姉ちゃんである。ヤシロに対してもそうだし、いつの間にか安達もそんな感じで扱われている。

そう、しまむらは姉なのだ。血縁上の姉はこの世にたくさんいるだろうけど、お姉ちゃんしてる姉はどれほどいるのだろう。そもお姉ちゃんしてるっていうのが曖昧だけど、とりあえず妹を構ってあげる、妹にちょっかいを出すとでもしておく。しまむら妹がしまむららぶなのは人見知りする性格とか甘えても受け入れてくれるだとかいろんな要素が関係してくるだろうけど、結局はしまむらというねーちゃんがいるからに他ならないだろう。しまむらの妹になりたい。でもしまむらは自分では姉という意識は薄いのだ。なんで自分が懐かれるのか不思議に思っている節もある。

過去のしまむらと現在のしまむらは性格的にだいぶ変わっていて、幼少期のしまむらはとても活発だった。友達(樽見)を引っ張って遊ぼーとなるタイプである。その性質は成長して現在のしまむらになったところで残されていたわけで、しまむらに姉的要素を感じるのは幼少期の名残と考えると自然だと言える。もっとも他人からの印象と自分の印象のずれは往々にして起きるもので、しまむらはなんでかなあと疑問に思っているが、読者として客観的に見た感想としてしまむらは姉度が高いのである。その姉としての魅力を安達に対しても発揮している。安達がおどおどしながらも毎回必死にお願いをするのをしょうがないなあと毎回受け入れてくれるのである。そりゃ時間が経つごとに安達にとってのしまむらは大きくなるよねと納得できる。自信がなくても勇気を出して踏み出した、そんな自分を受け入れてくれる存在がどれだけ嬉しく温かいか想像するに難くない。

 

 

今の安達はしまむらを中心に回っている世界に生きているけれど、最初からそうだったわけではもちろんない。アニメでも1話はクールキャラで通していた、ような気がする。しまむらにも度々からかわれるが、あの頃の安達はどこへ行ってしまったのか。それはまあ何処かに行ってしまったんだろうけれど、安達がこんなに変わってしまった原因はもちろんしまむらである。

安達は小さい頃から自分の気持ちを相手に伝えるのが苦手で、それは幼稚園の時からそうだった。一緒に遊びたいけどどうやって誘えばいいのかわからないといった感じだ。家族からもどう接すればいいかわからない子どもとみなされ、ろくにコミュニケーションをとってこなかったのだろう。だから高校受験に合格して新生活が始まっても、周囲と馴染めず孤独から体育館の二階に居座るようになる。そこで登場するのがしまむらだ。

しまむらが体育館の二階に来たのはただサボりたかっただけで、そこに安達との違いがある。二人は異なる事情で同じ場所に居合わせただけの繋がりであり、そこに他の要素はない。どちらかが体育館の二階に来るのをやめたらそこで途切れてしまう。そんな不確かな二人。だけどそこで終わらない。むしろ安達としまむらはここから始まる。思うにしまむらがありのままの安達を川の流れが一つになるように自分の生活に組み込むことができる人間だからこそ、二人の関係は続いていくのだろう。

安達にとってしまむらは初めて出会うタイプの人間。自分に干渉するわけでもなくかといって避けることもしない。とっつきにくい雰囲気をまとっているのにそれを気にかけないそぶり(おそらくしまむらはほんとに気にしてない)。そんなしまむらだからこそ安達は興味を持って、そう、しまむらという人間に興味を持ってもっと知りたいと思って、飽きずに体育館の二階に足を運び通学路で待っていたのだろう。そしてしまむらにとっては、安達は同じ時間を共有する仲間のような存在で、その積み重ねを経て安達と関わるのも悪くないな〜と思うようになったのだろう。しまむらは多分ほーんと軽い感じ。気づいたら安達が困ったちゃんになっててあらあらと思うけれど、それでも態度を変えないのがしまむら。相手がどう変わろうとどこか線を引いて私は私、あなたはあなた、と割り切って考えることができるのがしまむらの特徴であり、そこに安達は翻弄される。

 

 

安達としまむらの関係性、その全てを的確に言い表すことはできないが、一部ならこう表現できるかもしれない。「メリーゴーランド 」と。そう、届きたいけど届かない。近づいて、遠のいて。まさに挿入歌「メリーゴーランド」そのものである。安達の心情を歌った曲であるのを、しまむらとデュエットしているというのが、なんとも安達としまむららしい。というか「安達としまむら」の曲は安達視点のものが多い。(edの「キミのとなりで」もそう)クラス替えを祈る安達ばりにキャラソン発売を願う。

近づくことはできるのに、いつの間にか遠さ買ってしまう。しまむらはくるくると回るメリーゴーランド である。ともに歩むには同じ舞台からではなくそばで追いかけないといけないのがなんとも切ない。だが諦めてはいけない。安達にとってしまむらは全てであると同時にとても不安定な存在ではあるが、それでも着実に関係は深くなっている。時には想いが爆発してもうダメかもしれないと恐怖に苛まれえるが、それでも続いていくのが安達としまむらだ。

そう、安達としまむらはアニメで終わりじゃない。この続きは原作5巻から綴られているので、是非ともポチってほしい。できれば1巻からまとめて。

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